2010年7月4日日曜日

リベラル・アーツ教育、そしてクリティカル・シンキング

 最近、すっかり見かけることがなくなりましたが、法人化以降、最近まで本学はその教育の特色として「リベラル・アーツ教育」を標榜していました。また、近年、ICUの教育に対する評価が高まったこともあってか、「リベラル・アーツ教育」を特色として掲げる大学が増えているようにも感じます。

 未だに広く誤解や混乱が(例えば「教養教育」との混同など)見られますが、「リベラル・アーツ教育」の「リベラル・アーツ」とは、ある性格を持つ学問(ディシプリン)群、具体的には職業に直結していない学問群を指しています。

 例えば、社会科学で言えば、経済学はリベラル・アーツですが、経営学はリベラル・アーツには含まれません。後者(経営学)を修了した学生が、ビジネスの世界に進み、その知識をそのまま活用することを想定されている(と言うか、そのための教育を行なっている)のに対し、前者(経済学)の知識は、ビジネスの世界でも有益ではあっても、ビジネスそのものに関するものではありません。例外的に経済学者やエコノミストになった人にとっては、その知識は職業に直結したものとなるでしょうが、経済学部は経済学者やエコノミストの養成を第一目的としているわけではありませんし、実際そのような道に進む人は、卒業生全体から見れば極々少数でしょう。

 では、「リベラル・アーツ」に分類される学問(文学、哲学、歴史学、理学、経済学etc)を学べば、それがイコール「リベラル・アーツ教育」を受けたことになるのでしょうか?答えはノーです。

 長い歴史的・文化的変遷のすえ、現代アメリカにおけるリベラル・アーツカレッジの教育のありようとして一種の理念型にまでなっている「リベラル・アーツ教育」は、単に履修する学問分野だけでなく、独特の教育目標や教育方法なども含めた一つの総合的な教育のあり方を意味しています。

 中でも「クリティカル・シンキング」は、「リベラル・アーツ教育」にとって中核的な概念、あるいは教育目標になっています。

 「クリティカル・シンキング」については、一般的には「批判的思考」と訳されていますが、個人的には直訳に過ぎて、本来の意味するところを逸脱してしまっていると感じていました。では、どのような言葉ならいいのかと言うと、強いて言えば「客観的思考」あたりかもしれませんが、これまた色々なものが抜け落ちてしまい、どうにも適切な訳語が思いつかないという状態がずっと続いていました。

 今年度の大学教育学会で、たまたまアメリカのリベラル・アーツ教育の研究者、それに日本の一般教育史の研究者と筆者という組み合わせで一緒の昼食となったので、長年の疑問を彼らにぶつけてみました。

 その結果は、確かに「批判的思考」では不正確、かと言って「客観的思考」でもない、どうも日本語にはぴったりと対応する単語が見当たらず、「クリティカル・シンキング」のままで使った方がいいのではないか、ということになりました。

 次に、ではその意味は何なのかという話になり、一般教育史の研究者が言い出した「深く根本から考え直す」という説明が一番ぴったり来るだろうという結論になりました。分かりやすくなるよう、もう少し言葉を補ってみると「(自分自身で物事を)深く根本から考え直す(知的態度や能力)」となるでしょうか。

 さらにこれを「リベラル・アーツ教育」と結びつけてみます。

「リベラル・アーツ教育における中核的な目標は、自分自身で物事を深く根本から考え直す知的態度や能力(=クリティカル・シンキング)を養うことにある」

 このように理解すると、「リベラル・アーツ教育」が学習プロセスを重視すること、大量に課される読書やレポート、そして討論、また全寮制といった様々な教育方法や教育環境上の特色がなぜ必要なのか、すんなりと理解することできます。さらに、「クリティカル・シンキング」がそのようなものだとすると、「リベラル・アーツ教育」が「クリティカル・シンキング」を身につける上で最適である、と関係者が主張することも納得が出来ます。「リベラル・アーツ教育」以外の職業に結びつく分野の教育においては、(「クリティカル・シンキング」を涵養できないというわけではありませんが)その成り立ち、目的からして、それぞれの分野での職業に必要な知識・技能を身につけることを最優先とせざるを得ないからです。

 さて、今の日本の大学で、本当に「リベラル・アーツ教育」を実践している大学はいくつあるでしょうか。

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