2011年3月2日水曜日

住居手当の変更について

 前回組合ニュース(公開版)でお伝えした住居手当に関する制度の変更ですが、横浜市での制度変更の詳細が決定し、先週、組合に対して説明がありましたのでお知らせします。

 お伝えしたように、支給対象者は、原則として所有の場合は所有者、賃貸の場合は名義人になりますが、扶養親族が所有する住宅に同居している場合や賃貸借名義人ではないが実質的に家賃を支払っている場合も引き続き住居手当が支給されます。

 制度変更に関連して、今回手続きが必要になる人、及びその場合の必要書類は、次の通りです。

  1. 住居の所有者である場合: 不動産用登記事項証明書、登記簿謄本・抄本の写し、課税明細書(所有者氏名)の写し、固定資産証明書(物件証明書)の写し、のいずれか
  2. 住居の所有者ではないが、扶養親族が所有する住宅に同居している場合: 扶養親族が所有していることを証明する不動産用登記事項証明書、登記簿謄本・抄本の写し、課税明細書(所有者氏名)の写し、固定資産証明書(物件証明書)の写し、のいずれか
  3. 賃貸借名義人ではないが、実質的に家賃を支払っている場合: 口座引落の場合{賃貸借契約書の写し、口座振替依頼書の写し、引落口座の写し}、振込みの場合{賃貸借契約書の写し、振込書等の写し}、現金支払の場合{賃貸借契約書の写し、職員名の領収書の写し}、職員が名義人の口座に家賃を振り込んでいる場合{賃貸借契約書の写し、振込書等の写し}

 上記に該当する、手続きが必要になる職員の方のところには先週中に必要書類が届くことになっており、改めて手続きが不要な職員については何も届かないとのことです(ただし、事故等がないとは言い切れませんので、この記事をお読みになって該当すると思われるが何も届いていないという方は、人事課担当者に確認することをお勧めします)。必要書類の提出期限は3月14日(月)を予定しているそうですので、ご注意下さい。説明文書は横浜市のものを基本的に流用するそうですが、あまり分かり易いものにはなっていません。疑問点等は人事課の担当者に早めにお問い合わせください。

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職場集会について

 来週の9日、10日に久しぶりに職場集会を開催します。日時、場所は以下の通りです。

八景キャンパス: 3月9日(水) 12:05~12:55
 (本校舎1階 職員組合事務室の隣の組合会議室)

福浦キャンパス: 3月10日(木) 12:05~12:55
 (A209号室)

 非組合員の方の参加も歓迎します。本学の労働環境や労使関係、大学職員としてのキャリア形成等に関心をお持ちの方、一度覗いてみてみませんか。飛び入り参加も可能ですが、3月7日(月)までに参加の申込をいただいた方には、組合でお弁当を用意します。事前申込は、 ycu.staff.union(アット)gmail.com までお願いします。

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中教審答申「グローバル化社会の大学院教育」と産経新聞の誤報(?)、あるいは「バスに乗り遅れるな」

 本来は、前回の“文科省・財務省合意メモ”に関する続きを書くつもりでしたが、中教審の大学院の在り方に関する答申が出され、本学にとっても無関係な話ではない上、産経新聞の誤報(?)が、理系研究者を中心に一部の大学関係者の間で話題になったこともあり、こちらを先に取り上げることにしました。

 民主党政権の成立以来、中教審大学分科会の検討が殆どストップ状態になったように見えた時期が2回ありました。1回目は政権交代直後、2回目は昨年の参院選後で、いずれももっともなことと思えます。そのような中、大学分科会の所管する問題の中で、何故か大学院関係の検討というか、大学院教育の“実質化”の検証に関する作業だけが粛々と進んでいて、今回の答申へと結びつきました。

 今回の答申で特に重要な点は、大学院の博士課程の今後の在り方に関する部分です。このあたりは、答申の本文よりも答申の(ポイント版)という5ページの資料の最後にある図の方が分かりやすくなっています。

 【答申本文】  【答申ポイント

 これを見ると、これまでの博士前期課程(修士課程)での、入試→専門基礎教育→研究指導→修士論文→入試→研究指導→博士論文、という流れを、入試→(体系化された)コースワーク→研究室の壁を破る統合的な教育→(修士論文に代わる)Qualifying Exam→専門分野の選択→フィールドワーク、研究プロジェクト→研究計画書審査→研究指導→博士論文、と変えるという方向性が示されています。

 一言で言えば、これまでの特定の研究室での研究(研究指導)と論文作成中心の大学院教育からアメリカ型の大学院教育に変えろ、という話になります。ただし、ここでは幾つかの点で注意が必要です。

 第1に、この話は基本的に博士後期課程に進み博士号を取得する(させる)場合を対象にしているものであり、博士前期課程(修士課程)で大学院教育を修了して就職していく場合については必ずしも正面から取り扱っているわけではないという点です。この辺りについては、「同一専攻の中に、博士課程(前期)を終えた段階で就職する学生のための高度職業人養成プログラムを併せ持つなどの工夫が必要である」(P14)、「博士課程(前期)修了後に就職する者等の取扱いに留意しつつ ~ 修士論文の作成に代えて上記のような審査を行う仕組みの導入を進めることが必要であり」(P15)、「一貫制と区分制の博士課程のそれぞれの趣旨がより明確になるよう、標準修業年限や修得単位数の在り方について、今後検討が必要である」(P15)等の記述はありますが、我が国の産業を担ってきた企業技術者・企業研究者の多くが、この博士前期課程(修士課程)修了者であることを考慮すると、簡単に片付けることが出来るのか、あるいは簡単に片付けると困ったことになりかねないのではという懸念を覚えます。

 第2は、この辺が産経新聞の報道(「~修士論文を原則的に廃止~」)を誤報と言い切ってしまっていいか迷うところなのですが、(ポイント版)では、確かに方向性として修士論文に代わる Qualifying Examの導入を謳っているようにも見えるます。しかし、答申の本文を見ると「課程を通じ一貫した学位プログラムを編成する観点から,博士課程(前期)の修了時に,修士論文の作成に代えて上記のような審査を行う仕組みの導入を進めることが必要であり,その場合の制度的取扱いや学生を博士課程(後期)へ受け入れる要件を明確にすることが適当である。」(P15)(下線部筆者)となっていて、導入の必要性は認めているものの、とりあえずそのための制度的取扱いや博士後期課程への受入れ要件の明確化といった導入のための環境整備をまず行う、としているように読めます。

 さらにややこしいことに、この部分はもともとの大学分科会の答申案の最終版では「課程を通じ一貫したカリキュラムを編成する観点から,博士課程(前期)の修了時に,修士論文の作成に代えて上記のような審査を行う場合の制度的取扱いや博士課程(後期)へ受け入れる要件を明確にすることが適当である。」(P15)(下線部筆者)となっていて、Qualifying Examの導入は必要という前提ではなく、もし導入するなら、という位置付けで論じられています。

 恐らく、大学分科会の答申案の取りまとめから中教審までの数日の間に、誰かあるいはどこかが「もっと強いトーンで」という注文を付けてのことでしょうが、いずれにせよ直ちに修士論文を廃止してQualifying Examを導入するとまでは言い切ってはいないように読めます。

 さて、上記のような点に留意しつつ、次に答申の内容がどのように具体化されていくかを考えてみたいと思います。

 来年度予算案に「博士課程教育リーディングプログラム」という新規事業が出ています。答申本文にも「国内外の優秀な人材を引き付ける「リーディング大学院」の形成を促進していくことが急務である~」(P16)とあるので、今回の答申内容を実現するための誘導的施策という位置付けなのでしょう。予算総額は39億円、オールラウンド型 17件 2件、複合領域型10件、オンリーワン型5件という採択内訳と件数まで示されていて、合計32件で39億円ということは1件あたりの平均補助額は1億円を越える大型補助金ということになります。32件の採択数というのは、現在のグローバルCOEの源流である「トップ30」という言葉を連想させますが、旧帝大・東工大・一橋大とそれに次ぐ国立大、奈良先端大・北陸先端大、早慶等の名門私立大、若干の公立大を加えると丁度30くらいになる計算です。

(4/15追記:オールラウンド型の件数は17件ではなく、2件のまちがいでした。)

 ということで、来年度にも早速、上記のような従来の研究室・論文作成中心の大学院教育からアメリカ型大学院教育への転換を行う大学院の募集が行われる、言い換えるとこれに応募しようとする大学院はアメリカ型大学院への転換へと踏み出すということになります。

 ただ、それがそれほど簡単に出来ることなのか、正直疑問を覚えずにはいられません。コースワーク中心、研究室ローテーション、複数指導、奨学金等々と言うのは簡単ですが、グローバルに、かつ大学の研究者に限らず活躍可能な人材像を設定し、それに必要な教育課程を検討、具体的な科目を博士前期から後期まで体系的に配置するとなると検討だけで時間がかかりそうですし、コースワーク中心でとなるとこれまでよりも多くの科目を用意しなければなりません。システムを変えること自体に伴う一時的コストに加え、そのようなアメリカ型大学院のあり方自体がこれまでの日本型大学院より高コストなのではないか、つまり高コスト型大学院への転換を意味するのではないかという危惧も覚えます。そのようなアメリカ型大学院への転換が可能なのは一部の資源が豊富な大学院、加えて来年度早々に、という話であれば既に大学院GP等でこのような方向に一部舵を切っている大学院に限られるのではないでしょうか。だとすると、そのような大学院はやはり先に挙げた様な、まさに採択予定件数に符合する30程度の大学のそれに限定されそうな気がします。

ただし、そのような大学院でも、アメリカ型への転換がそう簡単に行くとは限りません。形式的にはともかく、本当に体系的な教育課程の編成にはファカルティによる相当の検討と合意が必要ですし、最終的な研究指導の内容や論文の審査基準がこれまでのままでは、コースワーク中心の教育によって得られる能力との間に不整合を起こしそうな気もします。そのあたりはファカルティの意識の問題も絡むので、転換はそう簡単な話とは思われません。そもそも、現行のシステムに問題があり、デメリットがメリットを上回っているように見える時に、システム自体を廃棄して、全く別のメリット、デメリットを持ったシステムに乗り換えれば、それで万々歳というふうにはなかなか行かないのが普通ではないでしょうか。研究室・論文作成中心の博士養成に問題があるのは確かでしょうが、同時にそれはそれなりのメリットもあるはずで、メリットはメリットとして保持しながら、デメリットの改善を図る方が現実的な気がします。最悪の場合、これまでのメリットは失い(こちらは、これまでのやり方を放棄すれば簡単に実現できてしまいます)、しかし新たなメリットは思うようには獲得できませんでしたということもありえるでしょう。

 さらに、ややこしいことになりそうなのは、来年度早々にこの方向に乗ることになるであろう30余の大学院以外の大学院です。旧帝等の大学院については、時間は多少かかるでしょうが、アメリカ型への転換は出来ない話ではありません。しかし、それ以外の、特に博士後期課程まで設置はされているが、実際には学生の多く博士前期課程修了で大学院を離れ就職してしまうような大学院については様々な問題があります。

 まず、第一に今後の制度上の扱い自体が現時点では不透明です。「同一専攻の中に、博士課程(前期)を終えた段階で就職する学生のための高度職業人養成プログラムを併せ持つなどの工夫が必要である」という答申での記述を紹介しましたが、これは、同一研究科内に博士養成プログラムと博士前期までの高度職業人養成プログラムの両方を用意しろと言っているのですから、当然、これまでよりさらにコストがかかることになります。

 また、例えば、博士養成をアメリカ型でという方向性を進めると、それが出来ない大学院は修士課程までにしろという、大学院における選別、役割分担の話が出てくる可能性があります。日本の博士養成がアメリカより劣るという前提で議論が行われている状況で、しかも博士後期課程まで持っている大学の比率は日本の方がアメリカより上という状態ですから、その可能性は無視できないと思います。

 さらに、上記の話とも関連しますが、日本人の宿痾ともいうべき悪癖、「バスに乗り遅れるな」というスローガンがここでも猛威を振るう可能性があります。ただでさえ「グローバル化」という、元々国際政治を専攻した身からすれば一体明治以来何度目なのか数える気も失せるようなスローガンが社会に横溢している状況ですから、国立大学(国立大の場合、博士講座制、修士講座制、学科目制という国立大の歴史的な身分意識に根ざすだけに厄介な問題です)を中心に、折角得た博士後期課程を手放すな → そのためには答申に言う「グローバル化時代に対応した大学院」にする必要がある → それはつまりアメリカ型大学院だ、という反射的な反応を引き起こす可能性が否定できません。博士養成中心なのか修士養成中心なのか微妙なポジションの大学院があるのは確かで、そういう大学院は好むと好まざるとによらず、今後の方向性を選ばなければならないでしょうが、もとより修士養成中心の大学院までそういう方向に雪崩を打つことが生産的なのかは相当疑問です。ですが、法人化によって国公立、特に公立大学はトップの権限が著しく強化されているので、この問題に限らずトップの意向次第でこれまではできなかったようなことも、(結果はともかく)少なくとも着手することは可能になっています。

 いい加減、長くなりすぎたので、このあたりでやめにしますが、最後にもう少しだけ付け加えておきます。「バスに乗り遅れるな」という言葉は元々、何時、どのような状況で生まれたものか、ご存知でしょうか?知らない方は一度調べてみることをお勧めします。もう一つ、「バスに乗り遅れるな」と煽ったり、命じたりする側はしばしばバスが転落する前に逃げ出すか、最初から乗り込みませんが、煽られた側はほぼ確実にバスと運命を共にする羽目になります。考えるのをやめる前に、バブルの崩壊時に何が起こったか、リーマンショックの時に何があったか思い出してみましょう。
(菊池芳明)

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