2015年2月6日金曜日

「高度専門職」の大学設置基準への位置づけについて(3) -「高度専門職」から「専門的職員」への変更とメンバーシップ型雇用における「専門性」-

前回の年末の組合ニュースで、「いくら大学設置基準という省令の改正であっても本当に年度内に制度化が可能なのか、少々疑わしくなってきました」と書きましたが、年が明けてみると本当に年度内には間に合わなかった、どころか制度自体が竜頭蛇尾になりかねないような混沌とした状況になってきたようです。ということで前回の予告では昨年12月5日の大学教育部会における3人の参考人の方のうち、残るURAの方(当日の自己紹介では「元教員で現在はURA」と言われていたと思うのですが、アップされた文科省側の紹介では肩書は「教授」になっています ???)については、すでに公開されている当日資料をご覧ください。

1月15日に開催された今期最後の大学教育部会では、年度内の大学設置基準の改正による第3の身分としての「高度専門職」の創設の事実上の見送り、検討の次期部会への先送りと、現段階での制度のイメージ -①名称は「高度専門職」から「専門的職員」へと変更、②「専門的職員」の具体的な内容については、文科省がガイドラインを作成し例示するが、採用区分、勤務形態、キャリア・トラック等々の具体的な在り様は各大学の個別の判断と運用にゆだねる- の提示がありました。最終的な結論は27日の大学分科会での議論に委ねられましたが、肝心の設置基準の改正案が全くできていないのでは大学分科会としても先送り以外の選択肢はなく、次期の中教審大学分科会大学教育部会への検討の先送りが決定されました。いずれも会議資料は既に公開されています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/015/gijiroku/1354541.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/1354760.htm

このような結末になったのは、教員に相当近い、米等の大学における一部の専門職(修士以上の学位を持ち、研究活動も行い、独自の職能団体が存在して人材養成や資格認定、研修なども行う)と同様のものから、現在の日本の大学職員とあまり大きな違いはないような(ジョブ・ローテーションの運用の多少の変更でも対応できそうな)あり方までの、様々な関係者のイメージを整理し、最終的に法令を始めとする高等教育システムに整合的な形での制度設計を提示することができなかったことに主たる原因があるように思われますが、せっかく制度設計までの時間的余裕が生まれたことなので、以下、特に職員との関係において少し問題の整理を試みてみたいと思います。

まず、日本の大学の職員を巡る状況について確認すると、①護送船団方式の下、長期に渡って大学経営を取り巻く環境は安定的であり、一般的には「経営能力」が大学の存続のためにクリティカルな問題とはなりませんでした。また、②そのような外部環境に加え、大学という組織の特性の一つ、教員と職員という2つの異なる性格の集団が存在し、大学の存在目的である教育研究活動そのものを担うのは教員で、上級幹部や経営者も基本的に教員集団から選ばれていたのに対し、職員は組織の維持のための多分にルーティン的な業務の担い手であり、その地位、権限は限定的なものであったことなどから、能力という意味でもそう高度なものは求められない傾向が長く続いてきました。

しかし、外部環境は伝統的なマーケットである18歳人口の継続的な減少、冷戦の終了による国際システムの変容、国家財政の悪化、教育政策の領域にまでNPM的な思考・手法が持ち込まれたこと等々で激変し、これに応じる形で大学の「経営能力」の向上、その担い手の一つである職員の役割の拡大や能力の向上が求められるようになりました。

ここで問題になるのは「職員の能力向上」や「専門性の向上」とは具体的に何なのかという点です。

まず、職員の全般的な、あるいは一般的な能力向上という問題については、上記の様な外部環境の激変への一般的な意味での対応の必要性、そして大学独特の問題としての、教員という学内で優越的な役割を果たしてきた集団との関係に影響されていた(ある意味いびつな)能力水準の是正という面もあると考えられます。この問題に関しては、今回、問題となっている法制度上「第3の職種」を創設する云々との直接的な関連性は実は希薄です。SD(一般的な「研修」という呼び方でも別に構わないと思いますが)等の職員の能力向上のための組織活動・支援の強化と適切な評価等で対応できる、あるいは対応すべき問題です。

問題は、その範囲では収まらない、減少する経営資源と高度化する社会や政治からの大学への要求の狭間で必要になってきた新たな業務や従来よりも高度性を求められるようになった業務、まさに今回の制度改正の検討の当初において対象とされた問題にどう対応するかという点です。

最初に、「職員との関係において少し問題の整理を試みてみたいと思います」と書きましたが、この問題については、職員と教員では実は相当に問題の認識や対応に関する発想が異なってくる可能性があります。実際、大学教育部会等での大学教員・教員出身の委員の発言や前回の組合ニュースで紹介した職員系の参考人の見解などにそれは色濃く反映されていたように思います。具体的には、「専門的能力」という言葉(以後はこの用語に絞って話を進めます)の意味するところが教員と職員では大きく違ってくるのではないかと考えられるのです。

職員の場合、基本的に大多数はいわゆる「ゼネラリスト」であり、その点では大手企業を中心とする民間企業のサラリーマン、そして官公庁の公務員と同様です。特定のジョブを対象として雇用契約を結ぶのではなく、「組織」の一員となるという雇用契約を交わし(公務員の場合、厳密には「任用」ですが)、その組織内の全てのジョブが自身の業務の対象になりうる可能性があり、実際に数年で様々な業務(部署)のローテーションを繰り返します。

このような雇用労働の在り方は実は日本独特のもので、他の先進国を含め日本以外の国では特定のジョブを対象として雇用契約を結ぶのが普通です。その点を非常に明快なモデルとして提示しているのが労働政策研究・研修機構統括研究員である濱口桂一郎氏で、近年の著作で日本独特の雇用システムを「メンバーシップ型」、日本以外では一般的な雇用システムを「ジョブ型」と呼んで、雇用契約の在り方をキーとして両者の違いを鮮やかに浮き彫りにしています。そして、「メンバーシップ型」雇用のもとでは、「長期雇用慣行」、「年功賃金制度」、「企業別組合」という、いわゆる3種の神器の他、「定期人事異動」もまた制度的補完性を構成する要素の一つとなっています(「メンバーシップ型」、「ジョブ型」の詳細については、近年の濱口桂一郎氏の一連の著作をご参照ください。ほぼ毎年、新書が出版されているので手軽に読むことが出来ます。非常勤講師をしている大学の学部学生向けに書かれたという『日本の雇用と労働法』あたりが概観するには手頃かもしれません)。このようなシステムのもとでの個々の労働者の能力の捉え方は、必然的に「ジョブ型」のもとでのそれとは大きく異なってくることになります。



様々な職務を一定期間で転々とするのですから、特定の職務を継続することによる知識や経験の蓄積といった分かり易い能力の向上とは別の「能力」の説明が必要になります。それが近年の「成果主義」の発想とは対照をなす、具体的な職務とは切り離され、潜在的能力を重視する「職務遂行能力」であり、年齢や勤続年数に伴い上昇するものと仮定されていました。また、組織の独自の慣行や人間関係への適応までも含んだ「企業特殊的技能」という表現もあります。

これに対して、大学教員という存在は日本では数少ない「高度に専門的な」「ジョブ型」の典型と言えます。自分の専門分野について、通常、学部の専門課程以来10数年かそれ以上の期間の「修行」-体系化された膨大な知識の習得とブラッシュアップ、それを前提としたオリジナルな研究の追求、他の研究者との議論等-を経てようやく1人前の研究者として「ギルド」への加入が認められることになります。このような人々が「専門的能力」と言った時にイメージするのはまさに自身の経てきたキャリアの在り方そのもので明快です。

ですが、「メンバーシップ型」の場合は「専門」という言葉を定義すること自体が難問になります(ある地方公共団体で職員の人事ローテーションについて「我々は3年で異動した分野の専門家になる」という言葉を聞いたことがありますが、これでは「専門家」の定義の敷居が低すぎると思われます。それにその定義に従ったとしても、丁度「専門家」になったあたりで次の部署に異動してしまうのですから、結局「専門家」はその部署にほとんど存在しないことになります)。

とは言うものの、「メンバーシップ型」の組織において「専門性」への考慮がまったくなかったかと言えばとそうではなく、企業では「専門役」や「調査役」と呼ばれるポストが、官公庁では「総括整理職」、「分掌職」と呼ばれるポストが存在しています(実際にそれがどう機能しているか、何のために使われているかはさておき)。さらに注目すべきこととして、近年、海外との競争にさらされている企業において、正社員については「メンバーシップ型」を死守しつつも30代後半辺りから一定の分野、部門内においてキャリアを積むようになる、という人事システム上の変化が起こっている(そうしないと「専門家」から成る海外企業に負けてしまうから)そうです。

さて、ここで最初の「高度専門職」をめぐる議論に立ち戻りたいと思います。

一般的な職員の能力向上については、既に述べたとおり、「第3の職種」の創設、制度化などは別に必要のない問題で、完全に各大学の個別の行動で対応することができます。

「専門性」を持った職員ないし「第3の職種」という問題に関しては、「メンバーシップ型」の職員から見た場合と「高度に専門的な」「ジョブ型」である教員から見た場合で人材像に相当な違いが出てきそうです。そして、今回の大学分科会、大学教育部会における検討は、少なくとも途中からこの両者が入り混じってしまったように思います。また、実際に現状ではこの両方へのニーズが存在しているのではないかと考えられます。

前者、職員から見た(あるいは職員をベースとした)「専門性」を持った職員ないし「第3の職種」については、民においても官においてもある程度の「専門性」を確保するためのポストが従来から存在しており、かつ、注目すべき変化として、海外企業との競争にさらされている民間企業において人事ローテーションをこれまでより限定して運用することにより専門性を確保しようとする動きが出てきているようでした。「ゼネラリスト」である職員に対しある程度の「専門性」を付与することは、これらに倣うことで十分に可能なように思えます。そして、それは現在の人事システムの運用の範囲で実現可能であり、別に法令改正を待つ必要などない、あるいは法令改正ができなくても構わないことを意味しています。この種の人材の必要性が重視されるならば、「第3の職種」のための法令改正の必要性は曖昧になるでしょう。

これに対して、教員から見た(あるいは教員に近い)「専門性」を持った職員ないし「第3の職種」の場合、現在の法制度下、しかも「メンバーシップ型」に対応した職員制度をベースにしては実現は困難ではないかと思われます(教員に大部屋での共同作業という「メンバーシップ型」の仕事のやり方を強制し、キャンパス外での活動にも一々組織の事前決裁を義務付けたらどうなるか考えれば分かり易いと思います)。昨年12月5日の大学教育部会におけるURAの方の説明も一つの傍証になるでしょうし、国立大学において既に雇用されているこの種の専門家が基本的に教員であり、職員ではないことも間接的にそれを裏付けていると思います。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/015/gijiroku/1353929.htm

ということで、私見では法令改正を行わなければ実現が困難なのは、教員に相当近い意味での「高度専門職」で、「ゼネラリスト」である職員にある程度の「専門性」を付与することは、現在でも各大学の人事システムの運用の変更で可能と考えます。しかし、大学分科会、大学教育部会で示された次期での検討のための「今後の方向性(イメージ例)」を見る限りでは、両者が混乱したまま検討が行われるのではないかと懸念せざるを得ません。また、名称が「高度専門職」から「専門的職員」へと変更されたことは、一般的にそれが職員の一種として解釈される可能性を高め、教員に相当近い意味での「高度専門職」の実現を、ゼネラリスト文化及びその慣行との関係から困難とさせるのではないかという点も懸念されます。「高度専門職」そのものとして構想されたはずの横浜市立大学における「大学専門職」がわずか数年で事実上廃止された(機能しなくなった)原因の恐らく一つに、設置者である基礎自治体における強固な「ゼネラリスト文化」の存在があったことを思い起こせば杞憂とは言い切れないだろうと思います(これらについて詳述することは現在の本学の状況では困難ですが)。また、戦後の中央省庁の人事システム改革の鍵となるはずだった「職階制」の実施が官僚側の抵抗により阻止された経緯なども同様にそのような可能性を想起させます(この点につき、大森彌東大名誉教授はその著書『官のシステム』で「これは、免疫学でいう『異物排除』に近かったかもしれない」と述べています)。


4月からいよいよ学長のトップダウンが極端に強化されたガバナンスの在り方が全大学に対して法的に強制され、機能し始めることになっています。万能のスーパーマン学長でもない限り、それを支えるスタッフの資質、能力は大学経営上非常に重要な問題となるはずですが、拙速な学校教育法改正と対になる今回の大学設置基準の改正の先送り、そして議論の混乱がどのような結果につながるかは、残念ながら現時点では霧の彼方であり、懸念しつつ次期中教審大学分科会、大学教育部会の検討を見守るしかなさそうです(もっとも一般的な意味での職員の能力向上とゼネラリストである職員に対して一定以上の「専門性」を付与することに関しては、繰り返しますが、別に国の対応を待つまでもなく個別大学の経営者の意思と能力により実現可能です)。

さて、以下続く、とするかどうかはまだ決めていないのですが、だいぶ長くなりましたので今回はこの辺で。
(菊池 芳明)

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