2018年1月22日月曜日

政府主導型大学再編の始まりと“戦略の醍醐味”(3)

現在、ニュースには書きにくい個別労働問題への対応が中心となっていて、お知らせ出来る情報がありません。ただ、遠からず人事考課に対する異議申し立て手続き、及び固有常勤職員の住居手当についての動きがありそうで、再びそれどころでなくなる前にということで、夏に途中まで書いたところで法人固有職員給与制度変更・人事考課制度変更問題、非常勤職員制度変更問題への対応で手一杯になり放置していた稿の続きを書いてみたいと思います(続きものにすると何故かそれどころでなくなるような案件が持ち上がり、数か月後、ようやく一息つく頃には内容が頭から飛んでいてそれきりにというパターンが多いのですが、さすがに何回もやってしまうと気にもなるので)。

この稿、“戦略の醍醐味”などという妙な言葉を使ってしまったのですが、それはちょうど最初の原稿を書く直前にFMICSの8月例会「そんな事してたら、大学潰れちゃいますよ! - 施設戦略の視点から -」に参加して久しぶりに「戦略レベル」の思考を刺激されてしまったためでした(日常、「戦術レベル」の話にしか縁が無くなっているので余計に)。内容は、マーケットの縮小を前提に、大学施設の特徴を踏まえた上でそれを経営戦略において如何に位置づけ対応すべきかという、ファシリティマネジメント(FM)の戦略的側面に関するもので、個人的にはライフサイクルコスト、特に竣工後10数年で必要になる大規模修繕コストに関する情報をブラッシュアップしたいという目的で出席しました。

今回は、その辺りからの話にしたいと思います。

当日の話については、大規模修繕コストについての確認も含めてなかなか面白かったのですが(因みに、他での情報も併せるとライフサイクルコスト全体に占める建築費の割合は3割程度と考えてよさそうです。つまり建築費10億の校舎を一つ建てれば、その後の維持コストの総額は20億、あるいはそれ以上かかると考えるべきという事になります。市大の現在の支出超過状態下における経営拡大方針を職員組合が懸念するのは、この種の、施設とそして組織などの施設に限らないライフサイクルコスト、長期コストの軽視とその結果が、計画策定自体に関与できない一般教職員にツケ廻されるであろうことが高確率で予想されるためです)、もう一つ、経営戦略とFMの関係について、軍事戦略と(Military)Logisticsの関係を連想させられました。

以前、経営学で使われる「戦略」(Strategy)がもともとは軍事用語であることと、「順次戦略」と「累積戦略」というあまり知られていない概念について紹介したことがありましたが2016年8月29日「戦略論から見た大学改革への対応 -順次戦略と累積戦略-」、流通で使われる「Logistics」(あと官公庁でも若干特殊な意味で使われるようですが)という言葉も同様に元々は軍事用語で、それが経営の分野に転用されたものです。

この分野ではWWⅡでの日本軍と米軍が対照的な例として挙げられることが多いのですが、その米軍でのLogisticsの定義を見ると国防総省の軍事用語辞典(現在のものは切り口が変わってしまっているので2001年の版で)では「The science of planning and carrying out the movement and maintenance of forces.In its most comprehensive sense, those aspects of military operations that deal with: a.design and development, acquisition, storage, movement, distribution, maintenance,evacuation, and disposition of materiel; b. movement, evacuation, and hospitalization of personnel; c. acquisition or construction, maintenance, operation, and disposition of facilities;and d. acquisition or furnishing of services.」(Joint Publication 1-02, Department of Defense Dictionary of Military and Associated Terms)となっています(下線筆者)。単に物資を輸送するという次元にとどまらず、設計、開発、調達、さらには施設等の極めて幅広い範囲をカバーしていることが判ります。もう少し具体的に説明すると、兵器は戦争に使われるものなので必然的に損失、破壊、故障が起こり、その補充や整備が必要になります。また、戦時でなくても機械、それも無理のかかる機械なので故障や消耗が起こります。それらの損失や破壊、故障があることを最初から前提として、より生産や輸送、整備が容易なように考慮して設計する、設計することを求めるという事を米軍は行っています。一方、かつての日本軍は、必要な物資量を正確に算定し、その量を確実に必要な場所に届けるという事はもちろん、生産や整備を考慮して設計するという事も(基本的に)していなかったのは有名な話です。

経営戦略とFMの関係と同様に、軍事戦略においてもlogisticsは重要な要因ですが、有り余る生産力を持つ方がその効率的、効果的な活用にも意を払っていたのに対して(もちろん米軍のlogisticsが完全なものであったなどということは無いのですが)、比較にならないほど生産力の弱体な方がそういった対応をいよいよ切羽詰まるまでできなかった、やらなかったという事実、そして大学の経営戦略においてFM、更には財務が近年まで(国公立大学はそもそも論外として)私立大学においてすら連動していなかったという点を併せると、戦争の敗北程度では変わらなかった日本人の業病のような戦略的思考との相性の悪さを感じてしまいます。

印象論のレベルになってしまいますが、①明治の日本が「帝国主義の時代」という戦略的環境を受容し、その下で封建制国家から出発後わずか40年ほどでロシアに勝利するほどの成果を挙げたこと、②しかし、第1次大戦後の帝国主義の時代の終焉という戦略的環境の変化には対応できず、都市部が焼け野原になり、世界3位だった海軍と商船隊が壊滅、物流もままならなくなるまで「後発帝国主義国家」としての在り方を変更できなかったこと、③そして戦後は東西対立、パックス・アメリカーナという戦略的環境下で製造業を中心とする経済成長(ミクロ的には個別企業の成長)に専念し、明治時代と同じように数十年で世界第2位の経済大国にまで上り詰めたこと、④これまた同様に、プラザ合意、東西冷戦の終焉、世界市場の出現といった戦略的環境の激変に対応できず、国家レベルでもミクロの企業レベルでも混乱が続いていることなどを見ると、近代以降の日本人は「戦略的環境」については外部のものを受け身で受容し(言い換えれば他者任せで)、かつその戦略的環境がある程度安定的な状況下で「作戦」、「戦術」レベルに注力できた場合に成功する、逆に戦略的環境が変化するとうまく行かなくなるというパターンがあるように思えます。経営戦略論でもミドルマネージャーレベルによる各部署での外部環境への“適応活動”の結果として会社が成功するという創発戦略系の研究で、確か事例として日本企業が挙げられたものがありましたが、これも軍事戦略の枠組みで考えると「戦略」レベルではなく「作戦」、「戦術」レベルで対応を行うことによる成功という事になると思います。

それを前提として国内市場での「成功」だの「生き残り」だのを考える場合、一体どうしたらいいのかという話について次回で少し考えてこの稿を終わりにします。

(菊池 芳明)

にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ